パッケージを信じてはいけない: 読書時間の減少について


パッケージを信じてはいけない。常に賢くなるために必要なものは我々の中にあるのであってパッケージではない。

NHK クローズアップ現代:広がる“読書ゼロ”~日本人に何が~

読書時間が減ったことについて話題になっているけど、私には読書が多くの人にとって元々知的活動と言うより、娯楽に等しかったよう思える。それが映画、テレビ、ゲームに徐々に奪われ、スマホの登場で決定的になっただけのような気がする。故にただ余暇の過ごし方の変化、そして本からスマホへの変化に従い、認知や思考方法が変化しただけで、知的水準の問題はない。むしろ概ね全体として文字の接触時間と書く時間は増えているような気がしてならない。
問題は情報や知識の流通経路・媒体、Webの中にまだ多くの旧来の知識パッケージである本の情報が移行していないことのように思える。本もWebも知識をパッケージし、流通させているだけなら、新しい流れに合わせばいいだけ。

Webも本も人を賢くはしない。ただ賢くなろうとする人を助けるだけで、パッケージのされ方だけで本質は変化しない。問題は流通方法の変化、SNSなどの中に流れては絶えず批評・変化にさらされ、非常に不安定な中、それを消化知識化するプロセスをまだ我々が十分に熟知していない事。それが混沌とし、複雑に見え、安定した旧来のパッケージ(本や新聞)を過剰評価し、それにすがろうとしているだけのように思え、それが今回このような形で現れただけに過ぎないと思う。

口伝から文字、印刷に移行する時も同様の混乱はあったと思う、それでもどうにか我々は変化したと思う。でも、情報量の変化に見合うほど我々は賢くは無ってはいない。

パッケージを信じてはいけない。常に賢くなるために必要なものは我々の中にあるのであってパッケージではない。